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京劇の梅蘭芳の切手~彼がたどった「花の生涯」~高価買取りと高額査定相場

 

今回紹介する切手は、1963年に発行された「梅蘭芳舞台芸術シリーズ」全8種です。

 

梅蘭芳(メイランファン)とは、近代から現代の中国で、一世を風靡した京劇役者です。
1961年にこの世を去ったことを考えると、死後わずか二年で切手になるくらいの影響力をもっていたことになります。
そんな梅蘭芳は一体どんな生涯をたどったのでしょうか。

 

 

●京劇のサラブレッド

1894年、日清戦争が起こるこの年、梅蘭芳は誕生しました。

彼の家は京劇役者の家で、祖父は「同光十三絶」という当時抜きんでていた十三人の京劇役者に選ばれていたほどです。

 

ここで、京劇についての基礎知識を整理してみましょう。
京劇とは、歌と劇を交えた戯曲の一種です。
扱うのは主に三国志や水滸伝などの歴史劇で、日本でいうところの歌舞伎に相当します。

 

清王朝の時代に北京にて発展したことから、その名が付きました。
阿片戦争をきっかけに、西洋列強が進出した後も、かの悪名高き西太后が保護したことからも、京劇はますます発展していきました。
そんな動乱期の中国において、梅蘭芳は女形として人気を博しました。

 

 

●京劇を改革し、世界進出

伝統芸能の京劇を演じた梅蘭芳ですが、彼は時代に応じた改革をするようになります。
これには同世代の友人がこぞって日本に留学していたことが関係してきます。
20世紀初頭の中国では、西洋文化を学ぶため、文明開化に成功した日本に留学することが流行になっていました。
伝統文化との向き合い方や西洋文化の取り入れ方について、中国の若者は皆頭を抱えていたのです。
京劇においても例外ではなく、梅蘭芳は日本や西洋の演劇法を取り入れるようになりました。
もちろん、伝統の破壊者として、批判も多くおりましたが、彼はそれをやり通したのです。
梅蘭芳は海外公演も積極的に行いました。
日本、アメリカ、ソ連で京劇を披露したのです。
このときから日本の伝統文化である歌舞伎との関係が深まりました。

 

また、創作演劇にも積極的に取り組みました。

1922年には名作『覇王別姫(はおうべっき)』が製作されました。

 

「項羽と劉邦」で有名な楚漢戦争を舞台とし「覇王」項羽と「姫」虞美人の悲しい別れが大きなストーリーとなっています。

 

このように、梅蘭芳は着実に実績を積み、中国を代表する四人の女形である「四大名旦」の一人と数えられるようになりました。

 

 

●戦中・戦後の梅蘭芳~日中伝統演劇交流~

1937年から中国は日本との戦争状態に突入します。日中戦争です。

北京や南京など、中国の主要都市は日本によって占領されていきました。

 

そんな中で梅蘭芳はささやかな抵抗を行います。
それは、女形であるにも関わらず、髭を生やし続けたのです。
これは、たとえ日本軍から圧力を受けようとも、京劇を演じることはない、という意思表示でもありました。
そして、一度は役者としての活動から身を引きます。

 

しかし、戦後、梅蘭芳は役者活動を再開しました。
そして、中国共産党による中華人民共和国設立後、それに従う動きをとりました。
そんな中で行われたのが、1950年代の日中伝統演劇交流でした。

 

この時期はまだ日本と中国は国交が成立しておらず、交流はあくまで民間人によるもののみでした。
そんな中で中国は日本との和解ムードを作るべく、文化交流を図ったのです。
背景にはソ連との対立があったと思われます。

 

日本からは、1955年に歌舞伎の市川猿之助が訪中しました。
そしてそれに応える形で中国からは、1956年に梅蘭芳が訪日しました。
梅蘭芳の京劇が、中国の文化を代表したのです。

梅蘭芳舞台芸術切手

発行年度 1962年
編号 紀94
買取における価値 7万円程度

 

 

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いかがでしたでしょうか、「中国切手」は価値の高いものが多い中、今回の「梅蘭芳舞台芸術シリーズ」切手は、文化的価値も高いです。

もし「梅蘭芳」切手シリーズをお持ちの方、見つけられた方は、できるだけ早めに査定に出されることをオススメいたします。
今が最も高価で買い取りしてもらえる時期に当たります。

 

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